札幌北斗高校について

札幌北斗高校のあゆみ

本校のあゆみ

品位ある敬愛に満ちた自律的で創造的な自立する女性を育てる」を建学の精神とし、1928(昭和3)年に「札幌岡裁縫女学校」として開校する。

開校するまで

夫を亡くした「岡テヂ」が「岡裁縫教授所」という小さな教室を1924(大正13)年に開いた。高度な裁縫技術の他に、他の裁縫教室ではしない礼儀作法・お茶・お花・簡単な算術を分かりやすく教え、評判が広まった。その当時の生徒たちは、「私塾」から「女学校」にして欲しいという強い願いをもち、テヂに懇願した。それに応えたのが、岡テヂの父「岡半蔵」で、財産の農地全てを投じて「札幌岡裁縫女学校」を道庁に申請し許されて開校した。1928(昭和3)年6月27日である。さらに1930(昭和5)年2月28日文部大臣認可校「北海道女子高等技芸学校」となった。

教育理念

実業教育

~将来家族や自分の家庭を支えるために、手に職を身につける

女性教育

~女性らしくも、たくましく生きていける知識・知恵を身につける

通学していた女学生たち

当時の女学校は良妻賢母になるため、裕福な家庭や官吏の子女が入学することが多かったが、「札幌岡裁縫女学校」は庶民の子女が通学していた。農業や運送業、夫を亡くした婦人もいた。また、教員免許を取得できるコース(師範科)があったので、他校を卒業してから再入学する人まで集まった。

本校は、家柄・貧富・宗教に関係なく女性の誰もが幸せになることを願った学校として、出発・発展した。


1924年「岡縫製教授所」の第1回修業記念写真

1947年寄宿生徒のひな祭り

1952年11月以降の校舎正面

1957年頃の校舎全景

沿革

1928年昭和3年 北海道庁認可「札幌岡裁縫女学校」として、札幌市南4条東4丁目に開校
創立者(初代校主)岡半蔵、初代校長 岡テヂ
1929年昭和4年 現在地に移転
1930年昭和5年 文部大臣認可「北海道女子高等技芸学校」に改称
1933年昭和8年 「札幌女子高等技芸学校」に改称
1946年昭和21年 旧制中等学校令により高等女学校に昇格し「札幌北斗高等女学校」に改称
1948年昭和23年 学制改革により「札幌北斗高等学校」に改称し「札幌北斗中学校」を併設する
1958年昭和33年 現在の校歌に制定
1959年昭和34年 被服科を廃止
1961年昭和36年 西校舎落成
1964年昭和39年 中学校・商業科を廃止
北校舎落成
1986年昭和61年 南校舎(現アネックス)落成
1991年平成3年 普通科の普通・進学・特別進学コース制とする
1999年平成11年 男女共学となり、教育目標を「真理の探究 個性の顕現」に改定
総合・進学・特別進学の3コース制とする
訪問介護員3級養成研修事業者指定を受ける
新体育館(現メインアリーナ)落成
2002年平成14年 福祉実習室設置
2003年平成15年 訪問介護員養成研修3級課程開始
2004年平成16年 スクールカウンセラー配置
2005年平成17年 樽川グラウンド(野球場・サッカー場)完成(1万1千坪)
2013年平成25年 介護職員初任者研修事業者指定を受ける
2015年平成27年 新校舎着工、第2体育館・北校舎解体、駐車場造成、テニスコート完成
2016年平成28年 西ブロック・南ブロック落成
2017年平成29年 南校舎(現アネックス)改修・西校舎解体・北ブロック落成・外構工事終了予定

校歌ご紹介

作詞者の北海道大学名誉教授、国文学者の風巻景次郎は、校舎近辺を散策し、この詩を作ったそうです。
作曲は「小さい秋みつけた」「めだかの学校」「夏の思い出」などを作った、当時新進気鋭の作曲家、中田喜直です。3拍子の美しい旋律です。

作詞 風巻 景次郎/作曲 中田 喜直

空(そら)は とおく ひかり
星(ほし)は 学窓(まど)に たかし きよし
襟(えり)を ただせ ああ 北斗よ
いさぎよき つどいぞ
われら すがた うるわし
まもれ この 清楚(すが)しさ
この かがやき

土に 立ちて ともよ
ひとのために われと 尽(つく)せ
はげめ はげめ ああ 北斗よ
すこやかに すすめば
こころ いよよ けだかし
行(ゆ)けよ この 通路(かよいじ)
わがあゆみよ

瞳(ひとみ) 風に 冴(さ)えて
眉(まゆ)は あがる わかき 生命
磨(みが)け 磨(みが)け ああ 北斗よ
さわやかに 学(まな)べば
まなこ つねに 新(あたら)し
おもえ この よき校庭(にわ)
よき 明日(あした)よ

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指揮 佐々木 伸浩(編曲)
演奏 札幌交響楽団
合唱 札幌北斗高等学校創立60周年記念合唱団
場所 北海道厚生年金会館
日時 昭和63年10月3日(月)